プロフィール
平成元年世代の男です。現在29歳
2018年11月24日に心筋症と心不全が発覚し4ヶ月間入院しました。
頻脈が最大の原因であった為、カテーテルアブレーションにより徐々に回復。 しかし依然心臓の機能は低いままなので、薬での内科的治療を続けながら自宅療養中です。
僕の病気の症状や受けた治療、経過などを記録し誰かの役に立てばと思って始めました。
病気について
退院後もまだ、実はまだ病名が確定していません。 ただ、可能性があるのは
拡張型心筋症もしくは頻脈誘発性心筋症
と医師から診断されています。
今後数ヶ月〜1年程度経過を見て、その結果を踏まえて病名が付くそうです。
これまでの経緯
2018年冬〜春頃
脈拍が速いことを感じるようになる。当時すでに120回/分以上
2018年春〜夏頃
脈が速い以外は特に症状なく、体調も良好。会社の健康診断でも特に問題なし
ちょうどこの頃、会社の研修で3ヶ月間カナダへ語学留学にも行くがその間も元気
2018年10月末
脈拍が一向に収まらないので、近所の病院で検査
心電図、レントゲンに異常はなく、降圧剤(脈拍を落ち着ける効果もある)を処方されるが、血圧が下がりすぎショック状態に
1時間後くらいに落ち着いたものの猛烈な吐き気に襲われる。その薬はその時点で中断
2018年11月上旬〜中旬
海外出張が重なり、しばらくしてから再度同じ病院へ。違う薬を処方される
この頃から、深呼吸をすると肺のあたりからゼーゼー音がする、咳が出る、背中が痛い、明け方に息苦しくなり横になれない などの症状が出始める。
今思えば完全に心不全の症状。数回の飛行機移動で悪化したのか。。?
2018年11月24日
薬の効果はなく、脈拍は依然早いまま。再度病院へ行くがこれ以上はわからないとのことで、総合病院の循環器内科を紹介してもらい、その足で直行
レントゲン、心電図、心エコー、血液検査を行ったところ心不全がかなり進行していると判明
心臓肥大(左室拡張末期径64mm)、EFの低下(22%)、BNPの異常値(220)などが認められ即日入院
2018年12月
点滴で強心剤を打つが状態は変わらず、拡張型心筋症の疑いがあると宣告される
β遮断薬などの薬も、血圧が下がりすぎてしまう為思うように増やせない状態であった
脈が速い(頻脈)のは、弱った心臓の機能を補うための代償かも、とのことも告げられた
体調は普通であったが、心臓の状態は悪く、大きな検査も思うように実施できないまま月日が流れた
更に、薬で治療できない場合、治療法は心臓移植しかないと告げられ、補助人工心臓の施術と移植も可能な病院へ転院
2018年12月(転院後)
冠動脈造影やカテーテルでの心筋検査を実施 心臓の拍出量は平均値並であり、代償機能と考えるには脈が速すぎる、との結果に。当時160回/分程度の時もあった
不整脈も発生していることがわかり、頻脈は心房頻拍が原因ではないかとなった
拡張型心筋症も考えられるが、頻脈が由来の心筋症=頻脈誘発性心筋症の疑いもあると判明。ただし、症状が酷似しているため診断がつけられるのはずっと後になるとのこと
2018年12月25日
心房頻拍はほぼ間違いないという診断の下、カテーテルにて場所を突き止める検査を実施
結果、左心房に頻脈の発生源があると判明。後日、カテーテルアブレーションにより焼灼する事となった
しかし、前日から心不全が悪化していたのか施術前に息苦しさがピークに。麻酔を打ち施術を行うも体調が猛烈に悪化
身体が起き上がるほどの激しい咳、血痰、息苦しさ、超低血圧(上が50〜60、下は計測不能)などの症状が表れる
後に知らされるが、BNPは600を超えていたらしい
2019年1月上旬
年を跨いでも依然入院は継続。腕に挿れていた点滴は差し替えの頻度が高く血管も痛めてしまうため首の太い血管へ入れ替え
この頃から、ご飯を食べると気持ち悪くなり超低血圧になってしまう状態が続く
消化のために胃に血液が運ばれるが、心臓の機能が低い為、胃以外に血を送れない為とのこと
年始から2週間ほど絶食となった。体重が約8kg減少。家族以外の面会もお断りさせて頂くほど悪化してしまった
2019年1月中旬
絶食により血圧低下は絶つことができた
ひたすら心臓を休ませ体調の回復を図り、カテーテルアブレーションの実施日を待っていたが、告げられたのは最も避けたかった選択肢
カテーテルアブレーションでは心臓と体力が持たず、命が危ない。補助人工心臓を埋め込み開胸手術を行います、というもの
左心房にある頻脈の発生源が1つではなく、複数あることがわかり、手術に7〜8時間程度掛かってしまう可能性がある為、今の心臓の状態では耐えきれないとのこと
頻脈の発生源が左心房のどこにあるかはカテーテルを入れてみないとわからないため、わかってから開胸手術(メイズ手術)に切り替えでは体が持たないのだそう
突然の宣告というだけでなく、補助人工心臓の使用だけは避けたかった為、何も考えられなくなった
数日間ふさぎ込んでしまったが、「生きる」という目的を果たす為ならやるしかない、と覚悟を決める。手術日は1月25日に決定した
補助人工心臓は、心臓移植待機患者にのみ使うことが可能な器具。その為、僕も心臓移植登録を行うことになった。幸い、心臓以外の臓器は健康だったため無事登録は完了。
2019年1月下旬
手術日まで決まっていたが、1月中旬から飲み始めたジゴキシンという薬がとても良く効き、びくともしなかった脈拍が90台に
発生した脈拍の一部を遮断する働きがあり、大きな副作用もなく効いてくれた為徐々に増量。最終的に脈拍は70台へ落ち着いた
これにより、働き続けていた心臓が休まった為、心臓の機能が徐々に回復。左室拡張末期径は60mmを切り、EFは30%以上となった
ただし、ベッドに背中を付けていないと脈拍は130程度まで急に上がってしまうため、トイレや食事以外は寝たきり状態が続く
そしてついに、このままいけばカテーテルアブレーションを受けられるかも となり、なんと開胸手術は一旦白紙に
その後も心臓の状態は改善していき、ついにカテーテルアブレーションを実施できる、と判断が下った
1月は偶然にも誕生月。奇跡のような事が起こり、どん底から一縷の望みが見えてきた
この頃には食事も徐々に再開
2019年2月
体調は安定し、ベッド上でのリハビリも開始
そしていよいよアブレーションの日程が2月18日に決定
頻脈発生源の場所によっては1回では終わらないかも、、と言われていたが、ラッキーなことに全て同じ箇所に固まっていた為、1回の施術かつ短時間(最低3時間の予定が2時間半で終了)で完了
術後も年末のような状態にはならず、念の為入ったCCUで元気に晩御飯のとんかつを頂いた
術後は脈拍が80〜90台となり、本来の脈拍があらわれる。起き上がっても脈拍は変わらないため、歩いたりとリハビリの幅も広がった
更に、入院日からずっと挿れていた点滴がついに外れる
ようやく面会も再開し、駆けつけてくれた友人や同僚の方々から元気をもらう
2019年3月
リハビリの負荷を増やし、徐々に動ける範囲を拡大
血圧が下がりすぎることもなく、β遮断薬など心不全の薬も徐々に増量できるように
主治医から退院の話も出るほどになり、回復を実感
そしてついに3月16日に退院。4ヶ月の入院生活に終止符を打った
ただし、退院時の状態は左室拡張末期径 59mm、EF 20%(※)、BNP 86 と決して正常とは言えないままであり、しばらく自宅療養となった
(※術前のEFは、代償機能が働いていたため30%を超えていたとのこと。本来の脈拍に戻ったことで本来のEFになったそうです)
退院後
職場復帰へ向け、自宅療養と心臓リハビリ継続中
塩分を管理するため、減塩メシ多めで自炊にハマってます